2016年12月7日水曜日

「動かす」ワークショップ 学生の課題解決と更なる成長へ

1130日、ハビタット・ジャパンとリクルート住まいカンパニー(RSC)との共催で、学生に向けたワークショップが開催されました。テーマは「動かす」ワークショップで、学生としてイベントを企画するとき、いかにして企業を巻き込み「動かす」ことができるか、ということをテーマに開催されました。イベントにはRSCの社員の方々が参加し、学生の企画立案の最中やその企画についてのプレゼンに至るまで、様々なことに対してアドバイスをいただきました。
参加した学生からは、「今後の活動にとても活かせる、新鮮な内容のワークショップでした」といった声や「今回のワークショップが、企業との関わり方を考える良いきっかけになりそうです」といったポジティブな感想が多く寄せられました。
その中でも今回は、日本大学の学生支部(Ala-N)のメンバーで、当日のグループを代表してRSCの執行役員の方に対してプレゼンをしてくれた、金井浩太郎くんの感想を皆さんにお伝えします。

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今回のイベントに参加したキッカケは現在、所属しているハビタットの学生支部として社会人の方と関わる機会がなかなか無いということもあって、社会人と学生が繋がれるイベントを開催すると聞いたときすぐ応募しました。

リクルートさんが開催してくださった内容が協賛を企業からいただくためのノウハウということで直接社員の方からプレゼンを聞けました。また、その後のグループごとでの企画を仕立てる段階やプレゼンで企画を発表した後に細かい部分までアドバイスをいただけたことを嬉しく思いました。そして最後には僕たちのグループがみんなの代表としてRSCの執行役員の方に直接プレゼンをする機会をいただけました。

ワークショップが始まり、まず最初に気づかされた点は社員さんのプレゼンの仕方に目を奪われました。社会人の方が学生目線と社会人目線の両方を使い分けて時に身近に、時に距離を置いて話す。砕けすぎず硬すぎずバランスが素晴らしかったです。イベント終了後に「魅力を伝えるために意識していることは何ですか?」と伺ったところ、「感情を出して話す」と言い、「嬉しい」、「楽しい」、「苦しい」、「つらい」といった感情を出すことが秘訣だと教えてくれて、自分も代表という立場にある身としてとても参考になりました。また、イベント協賛をもらうために自分たちの団体、来場者、協賛をいただきたい企業の3方の立場を考えることが大切だとおっしゃっていました。そして最後に大切なことは「熱意があるかどうかだ」と語ってくれました。
 
全体を通して学び感じたことは自分の団体にしかない強みをよく知ること。ボランティア団体に所属している僕らにはイベントを企画するときもボランティアをしているときも相手の立場になって考えて行動するということが何より大切だということに改めて気づかされました。

これからも社会人と学生が関われるような機会が増えてほしいと思います。そして学び感じたことをこれからの活動に活かしていきたいと思います。

2016年11月25日金曜日

初のミャンマーGV、リーダー立候補への決意と意気込み

今春、日本からミャンマーへのGVチームの派遣が世界で初めて行われようとしています。チームメンバーはハビタットの学生支部のメンバーで構成され、リーダーも学生からの立候補を募りました。そんなチームのリーダーに立候補してくれたのが、日本大学2年生のキャンパスチャプターAla-N)代表の青柳智也くんです。

そもそも、ハビタット事務局から学生に向けて「世界で初めてミャンマーへのチームを派遣してほしい」そうメッセージを送ったのが今回のチーム結成のきっかけでした。チームの構成は各大学から自由に参加希望者を募集する今回の派遣は、多くのことが初めてのものです。そんなチームのリーダーに青柳くんが立候補したのには、Ala-NでのGV派遣での経験がありました。

「高校時代はボランティアには興味もなかったし、何かの代表を務めたり、人の前に立つような立場ではなかった」そう青柳くんは話します。そんなAla-Nに入った理由もボランティアへの強い興味などがあったわけではなく、友だちに誘われたから、という理由でした。しかし、2回のGV参加での出会いが彼を変えました。「2回目のGVチームのリーダーで、CCの代表でもあった三科くんのチームの作り方や、後輩へのメッセージの伝え方がすごく上手くて尊敬出来た」GVを振り返りそう語ります。尊敬できる先輩との出会いから、彼の視点が変わりました。「自分がこれまで経験してきた『楽しい』や『すごい』といった感情を後輩に伝えたい」それまでは先輩の背中を見て様々なことをただ学ぶ立場から今後は先輩として、得たものを後輩に伝えたい、そう変化しました。その意思から2年生の夏にはGVリーダーを務め、後期からはAla-Nの代表にも就任しました。

リーダーとしてメンバーを率いたGVでは、青柳くんは『伝えること』の難しさを実感したと言います。「自分の中でのGVは楽しみながらやるもの、という考えがうまいこと伝えられなくて、楽しむことだけが強調されることもあった」今年の夏のGVをそう話します。しかし、GVが失敗に終わることはなかったようです。「GVを通して『伝える』ということは、1度はできました。次は代表としてやりたいことや、やるべきことをしたい。それに、Al-Nには自分の他にもGVリーダーを任せられるやつがもういるので、2回も自分がAla-Nでリーダーをやる必要はないかなと思いました」代表に就いたのちの思いをそう話します。

また、青柳くんは話の中で代表としての目標も話してくれました。「今のJCCは組織も大きいし、1つ1つのCCが面白いことをしてる。けど、まだ1つになりきれてないって感じます。僕が代表の間は、全国のCCが同じ方向をしっかり向いて今以上に魅力のある組織にしたいと思ってます」と、学生として組織の中にいるからこそ感じる問題点をあげた上で、こう続けました「そのためにいろいろな大学から意欲のある人が集まるこのGVのリーダーをやって、関東だけでなく関西ともさらにつながりを強くして、JCCのメンバーがみんなで同じ方向を向いているような組織にしたいです」と、力強く話してくれました。

高校時代の同級生に、ボランティアやサークルの話をすると時々馬鹿にされることもあり、1年生の時はそれが少し嫌に感じることもあったと言います。しかし、そこからの心境の変化もありました。「今は、何を言われても大丈夫です。1年生の時と違ってやってる理由とかも話せるし、何なら活動を広めて誘ったりもしちゃいますよ」と笑いながら答えてくれました。1年生から、CCやハビタットの活動に参加する中で色々な人の話を聞き、経験を重ねる中で一歩一歩確実に進歩している青柳くんが、また未知の土地であるミャンマーで何を見て、自身とCCの成長に繋げるのか、Ala-Nと春のミャンマーGVチームの活動に注目です。

筆:広報インターン 喜多

2016年11月3日木曜日

ハビタット・ジャパン 学生インターン後記

ハビタット・ジャパンでは、ハビタット・ジャパンの学生支部(キャンパスチャプター)に所属するメンバーを中心に、学生インターンとして採用しています。キャンパスチャプターのメンバーとして、またインターンとしてハビタットの活動に積極的に参加し、様々なものを見て、経験し、成長したインターン生は、インターン期間を終了した後、其々が新たな取り組みにチャレンジしています。現在フィリピンにいる、10月5日の記事を更新した村田もそんなインターン卒業生の1人です。

今回は、ハビタット・ジャパンのインターンを終え、現在はタンザニアで国連のユースボランティアとして活躍している立教大学Eddyの元代表・米田大志から便りが届いたので、皆さまにもお伝えしたいと思います。2年生から、キャンパスチャプターの立ち上げに尽力し、3年生の1月からインターンとしてハビタットの活動に協力してくれた彼が、その活動の中で何を感じ、どのような心境の変化が起こったのかを綴ってくれました。
ハビタットでの経験をもとに今後どのような取り組みを行うのかが楽しみになる、そんな彼のレポートを是非お読みください。

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 【知って、伝える。】

 こんにちは。立教大学Eddy4年の米田大志と申します。私は大学2年の夏に仲間とハビタットの学生支部を立ち上げ、代表として活動に携わってまいりました。また、今年の1月から8月まで、約8ヶ月の間インターンとしてユースプログラムの業務をお手伝いさせていただいておりました。現在はアフリカのタンザニアという国に滞在しており、国連ユースボランティアとして来年の2月下旬まで国連ボランティア計画のフィールドユニットで働くことになっております。この度は、ハビタットでの経験が現在の私にどう影響しているのかという点について記させていただこうと思います。

 ハビタットでの経験を振り返ってまず感じるのは「現状を知る意欲が高まった」ということです。私は大学2年の夏休みに2014年度のStep to Peace (日本全国から集まった学生合同チームで*GVに行く企画。以下STP) に参加し、インドを訪れました。それは私にとって初めての途上国訪問・本格的なボランティア経験だったのですが、毎日が衝撃の連続でした。家と呼べるのか疑問に思ってしまうような住環境や物乞い、課題だらけのインフラ。それまでテレビを通して見ていた世界が私の目により広く、より深く映ったことを覚えています。一方で、現地の人々の温かみやより良い暮らしへの情熱といった、プラスの衝撃も受けました。これらは全て、実際に現地へ足を運び己で体感したからこそ知り得た現状であると確信しています。

STPを終えてからは「もっと色々な世界の現状を知りたい」という強い意欲が生まれ、それに突き動かされるように行動を起こしてきました。例えば、インドネシア・ネパール・再びインドと、計4GVへ参加しました。また、国内でも東北や熊本の被災地域、都内のホームレスの方々のもとへ複数回に渡って赴き、実情を頭だけではなく五感で確かめてきました。現在タンザニアで国連インターンに参加しているのも、国連とアフリカの現状を知りたいという意欲に導かれた結果です。今後もこの意欲を留めることなく、新たな知見を得られる機会があれば積極的に飛び込んでいこうと思っております。


 また、「伝えることの重要性に気付いた」こともハビタットでの経験を通して得た成長です。人は感情を揺さぶられる経験をした時、誰かに話したくなるものではないでしょうか。私は前述のGVに参加したことで大きく感情を揺さぶられ、帰国後は体験を伝え広めることに傾倒する学生生活となりました。最後に参加したGVでは動画作成という形で自分の活動や想いを可視化し、多くの人に伝えました。このように、自分の体験を伝えることに注力する中で1つ気付いたことがあります。それは、「伝えることで波及効果を生むことができる」ということです。どんなに素敵な出来事があっても、どんなに衝撃的な経験をしても、誰かに伝えなくては自分の中で完結してしまいます。ですが、伝えることで体験は自分の中から解き放たれ、水面に落ちる雫のように周囲に影響の波を広げることができます。時にその波は、誰かが新たな行動を起こすきっかけにもなるのです。実際に活動を通して、新たな行動や変化を見せてくれた仲間をたくさん見てきました。そんな彼らの姿を見る度に伝えることの重要性を再確認したことは言うまでもありません。現在、私は主に広報担当として働かせていただいております。タンザニア、延いては世界中の人々にいかに影響の波を広げていくかという点に着目し、精一杯伝えていく所存です。

 以上、例として2点挙げさせていただきましたが、私がハビタットでの経験を通して得たものは計り知れません。また、それらは間違いなく、現在の私に多大なる影響を及ぼしています。経験を今に活かしつつ、残りのタンザニアでの日々、そしてその先の未来へ力強く進んでいきます。少々長くなってしまいましたが、ハビタットを通して得ることのできた全ての経験と全ての出会いに心から感謝し、拙い文章を締めさせていただこうと思います。誠にありがとうございました。

*GV: ハビタットの海外建築ボランティアプログラムのことでGlobal Village programの略

2016年10月13日木曜日

青年海外協力隊員として活動するに至るまでの道のり


初めまして!現在青年海外協力隊としてフィリピンのパナイ島アクラン州カリボ町に防災・災害対策という職種で赴任中の羽田と申します。スタッフの高橋さんより寄稿の依頼を受け、僭越ながら記事を書かせていただいております。少し長文となりますが、【大学での取り組み】→【社会人の経験】→青年海外協力隊としての活動】といったような流れで話を進めていきます。

【大学での取り組み】 
私は2006年-2010年の間、東海大(湘南キャンパス)で学生生活を過ごしており、その際にハビタット・フォー・ヒューマニティ・ジャパンの学生支部であるSame Same but Tokaiに所属し、海外建築ボランティアプログラム(GV:Global Village Program)に参加しておりました。大学1年の夏季休暇を利用し、GVに参加することで初めての海外、バングラデシュに渡航しました。その経験がきっかけとなり、国際協力に関してより一層関心をもつようになり、その後フィリピン、タイ、インドと4回GVを経験いたしました(そのうち1度はGVリーダーを経験。Same Same but Tokaiの代表も経験)。私にとって初海外がGVとなり、ただの観光旅行とは違った側面を見ることができたこのプログラムは、非常に見るものすべてが新鮮かつ、勉強になることばかりでした。GVの経験後は、学内の活動だけでなく、学外でのNGOの活動やインターンシップなどに取り組み、将来的に国際協力の業界で仕事に就くことができたら…と考えるようになりました。

【社会人の経験】
カリボ町の台風ヨランダ被災者への
再定住地建築現場。
まだ完成はしていません。
大学卒業後ですが、地元の新潟にUターン就職し、消防士として5年間勤めました。その後、防災・災害対策という職種で青年海外協力隊員となり、フィリピンに派遣されました。なぜ私が大学卒業後に消防士を選択したのか、それには理由があります。国際協力の分野で貢献するには社会人としての経験を積むことが大切だ、そうインターン先でお世話になったNGOの事務局長からアドバイスをいただきました。自分自身、何度もGVを経験する中で、手に職がなくては海外で活かせるものは何もないのでは・・という懸念を抱いていたこともあり、将来を見据えて少しずつ自身の方向性を見出していきました。そして、“人の役に立てたら”という思いがキーとなり、人の命に直接関わる“消防士”という職が結びつきました。
消防の仕事というのは自身が想像していた以上に忙しく、また人の命に直結する仕事だからこそ厳しい業界でもあることを認識させられました。消防士としての経験は、単に火消しとして町を守るのではなく、地域の人との関わりを大事にすることや、未然に火災を防ぐことに重きを置いているなど、ベテランの消防士が培った技術・知識を伝承することの大切さや防災について学ぶことが非常に多くありました。

【青年海外協力隊員としての活動】
現在私は前述の通りフィリピンで活動しております。消防・救急・救助関連のトレーニングを実施するかたわら、日本の防災に関しての取り組み紹介や、日本の防災教育の教材を借用しHUG(避難所運営ゲーム)を町の集落で実施しています。2013年にフィリピンを襲った台風30号「ヨランダ(ハイエン)」により、フィリピン全土で6,000人以上もの人がなくなった歴史は記憶に新しいかと思います。ハビタットの活動はその復興への手助けにもなっていることを、ここに来て改めて実感しています。私の任地はパナイ島アクラン州カリボ町というところでして、同じ州内にあるボラカイ島というところがリゾートで有名なため、他の地域と比べて経済が潤っている部分があります。ヨランダによりこの地も被災しましたが、被害が深刻だったレイテ島やセブ島北部などに国際援助が注目し、被害がそこまで大きくなかったところに関してはある種見捨てられてしまっているところがある、というのをこちらに来て気づくこととなりました。今年(2016年)に入り、ようやく任地でも被災した方が再定住できる土地の工事が始まりました。そうしたときにハビタットの活動を思い出し、GVプログラムを見てみたところ、やはりヨランダ復興に関してのGVがなされていることを知ることになりました。ハビタットによる支援は2014年頃から行われており、今なお継続していることも含め、やはりNGOの動きはスピーディかつコミュニティに根差している…と改めて思い知らされました。
カリボ町の川沿いにある不法居住地区。
電気火災が起き、何十もの住居が被害に
遭いましたが、すぐに再建し、
また同じような形に戻っていきます。

学生時代に募金活動をする際は「衣食住の住」という人間の尊厳に関するといった部分に着目して啓蒙したり、SSBTメンバーと話をするときにもよく話し合いをしたりしていましたが、改めて自分のおかれた環境や仕事の経験などと結び付けていくと、いかに住環境が大事か、ということを痛感させられました。こちらでは、日本と比べて耐震基準もそこまででないことや、経済事情もあって不法居住をしている住民がおります。そういったなかで、災害は容赦なく襲ってきます。川沿いや土地の低いところに住んでいる住民は真っ先に被害者となり、またそこから復興するためにもお金がかかることとなり、負のサイクルから逃れられなくなってしまいます。軽素材で作られた住居は簡単に台風で破壊され、ただ簡単にまた元通りにできるという部分でのメリットはあるかもしれませんが、災害への備えという点では非常に脆弱な状態です。特に温暖化なども相まって、時折想定以上の災害が起きることから、今までは大丈夫でしたが、今後はどうなるか、というのは誰にも予測できません。そういった方々に、現地で調達できる資材を使い、現地の風土に適した家を住民と共に建てるという関わりは継続につながると思っています(国際援助で建てられた施設では、使われた資材や機材で修理代が高くつくことや、修理自体ができない、といったこともよく耳にします)。



ワークショップ形式で防災教育を実施
【まとめ】
私の任期は2017年の7月までですが、引き続き任地での活動に取り組むかたわら、なんらかの形でハビタットとも繋がり続けられたらと思っています。協力隊の任地訪問をしてみたい方がいらしたらいつでもお気軽にご連絡ください。もちろん防災・災害対策という職種でなくとも、フィリピンには現在50人ほどの隊員がおりますので、そういった隊員を紹介する、ということも可能かもしれません。

大学生のときの経験全てが今に生きているかどうかと言われると難しいところですが、GVの経験は確実に生きていると思います。私は留学経験がありませんが、それでも途上国での、数週間のボランティア活動でしたが、2年間隊員生活を過ごすにあたって、なんとなくイメージをもつことができましたし、自身の立ち振る舞いについても気づかないうちに身に着けていったと思います(ストリートチルドレンへの対応や安全対策など)。また、ハビタットで面白いと思うところは、一つの大学だけで完結しないところが珍しいところかなとも思います。他大学との合同イベントを通じて仲良くなった友人とは今も交友がありますし、協力隊の派遣前訓練所で一緒に訓練を受けていた隊員の一人がGV経験者で、そこから一気に打ち解けて色々な話をするように…ということもあり、ハビタットという共通の話題が色んな広がりを見せています。

GVの経験がどこでどのような形で結びつくのかは分かりませんが、GVでの取り組みは、そこに住んでいる方々の一助になっていることを忘れず、「Build Back Better※」を目指して、頑張ってください!

Build Back Better…
災害以前の状態に復旧するだけではなく、被災地をより良い状態に再建するという考え方。 
自身の活動についてはあまり載せきれていませんので、関心のある方は下記参照くださいませ。                                    
①JICAフィリピン事務所がまとめてくれた活動の記事です。
https://www.jica.go.jp/philippine/english/office/topics/news/160830.html
② 週に1度くらいのペースで、日記のような形でブログをつけています。  
http://ameblo.jp/the-bonds-573

2016年10月5日水曜日

広報インターンを終えて

こんにちは。早稲田大学WHABITAT4年の村田理帆と申します。20164月から8月までの約5ヵ月間、インターンとして広報業務に携わらせて頂きました。今回は5ヵ月間の広報業務を経て学んだこと、そして感じたことを中心に筆を執らせて頂きます。

「ハビタットの事務局でインターンをしてみないか」声がかかったのは就職活動が始まった3月のはじめ頃でした。現役時代、沢山お世話になったハビタットの支えに少しでもなれれば、という思いと、NPO法人による国際協力への関わりを知りたい、そんな思いからインターンを引き受けることにしました。

広報業務に携わらせていただく中での発見は、自分が思っている以上にハビタットのことを知らなかったという事実です。現役時代、ハビタットの活動に積極的に関わり、GVリーダーも経験した私は、ハビタットの活動を深く理解しているつもりでした。しかし実際に事務局での業務に取り掛かる中で、私が知るハビタットは、GVやその他のユースプログラムの活動といったほんの一部分の活動であることに気がつきました。活字という手段で、ネパール地震の被災地でハビタットが地域住民と一緒に取り組む活動や各国のコミュニティ支援の取り組みなどを伝えることで、新しい発見に出会うことができました。それと同時に、人に伝えることの難しさと責任の重さを味わうことができました。Facebookやブログ、ホームページなどの更新や毎月配信されるメールマガジンなど、複数の媒体を駆使してハビタットの活動を一般の方々に伝える、そして、低水準の住居問題に対して問題意識を抱いてもらえるよう導くことがハビタットの広報として目指すべき目標であり、それは「言葉を紡ぐ」という、地道な努力の積み重ねなくしては到達できない険しい道のりであることを実感しました。

一方、インターンとして事務局に通うようになって間もない頃、熊本地震が発生しました。度重なる余震により、甚大な被害をもたらしたこの地震の報道を見た時、ハビタットの広報インターンとして、「直接自分の目で熊本の現状を見て、自ら発信したい」、そう強く感じました。そんな矢先、広報スタッフとして現地での活動を事務局より打診された私は、迷いなく熊本行きを決意しました。GVとは異なり、たった一人で熊本まで向かう、縁もゆかりもない熊本で果たしてどれだけ自分が役に立てるのか、正直不安だらけでした。けれども、広報インターンであることに加え、東日本大震災が起きた際にテレビで映し出される惨状をただ見るだけだった自分が思い出され「今回こそは」という気持ちが私を突き動かしました。振り返ってみると、熊本地震の被災地でどれだけの力になれたのかは分かりませんが、たとえ小さな力であったとしても、熊本の現状を自らの目で見て、熊本支援の輪が広がるように思いをこめて言葉を紡ぎ記事にしたことで、自分は確実に熊本の支援の輪の中にいると感じることができました。また、熊本での活動をきっかけに、災害支援を身近に感じることができるようになりましたし、熊本という土地そのものが私にとって特別な場所になりました。ハビタットが熊本での支援を終えた後も個人的に熊本を訪れるなど、今までの自分では考えられないような行動力がこの数ヵ月で身についたように感じます。

9月から半年間、フィリピンへ渡航することが決まっていたため、インターン職を一旦離れることになりました。5ヵ月間という短い期間でしたが、ハビタットで広報インターンを務めることで、熊本支援を含め、何物にも代えられない貴重な経験を積むことができました。5ヵ月間、大変お世話になりました!!!

2016年9月19日月曜日

女川の復興に想う、「だれもおいてけぼりにしない」こと

こんにちは!ハビタット・ジャパンの稲垣です。先日、以前に宮城県女川町に縁のある、私にとっては懐かしいお二人とお話しする機会がありました。復興について、支援についてあらためて考えるきっかけになったので、ここで共有しますね。

私は2011年夏から2年間、宮城県に駐在し、復興支援事業を担当していました。未曾有の災害が起きた場所で、復興が何を意味するのか、ひとつの団体で何ができるのかわからないまま、ただ必死に、目の前のできることをなんとか進める毎日でした。そんな中で出会ったのが、八木純子さんです。

八木さんは、女川町の小さなコンテナで、地元のおばあちゃんたちと布草履を作っていらっしゃいました。聞けば、自らも被災し、避難所で小さなお子さんを抱えるお母さんたちを支えることからはじまり、その後も色々な形で、周囲の人たちを助けているとのこと。八木さんの元には、ボランティア、支援団体のスタッフ、地元の方たち、色々な人がやってきて、とにかく忙しそうで、パワーのある人だなぁと圧倒されてしまいました。忙しい中たくさんのお話をしてくださり、ついには、八木さんが育ったご実家まで連れて行ってくれました。その家は、津波被害が大きかった女川高白浜のすぐ横。その時には、周りには他に何の建物もなく、工事車両がたくさん置いてあるだけでした。海の目の前なのに、奇跡のように残った建物。ボロボロだけど、傾いてもいない。2階には、少しだけど家具や小物が残っていて、八木さんが育ったころの空気もまだ漂っているかのようでした。窓を開ければ絶景の海!この建物と八木さんのパワーがあれば、ここにどんどん人が集まってくるように感じました。八木さんもそれを願っているようでした。ついその場で、建物を直す提案をしてしまいました。

そこからは、もうそうなることは決まっていたように、話が進みました。ハビタットだけではどうにもなりません。様々な人たちの助けを得て、本当に建物の改修が決まりました。

その後、私自身は宮城を離れてしまったのですが、八木さんのご実家を地域の憩いの場として再生するプロジェクトは、他のスタッフが引き継いでくれて、その後、無事に「ゆめハウス」として、とても素敵な場所が生まれました。


ハビタットはその最初の一歩を少し後押ししただけ。実際に人を集め、運営して、素敵な場所に変えていったのは、八木さんをはじめとする地元の人たち、それを応援する様々な人たちです。
先日、横浜で八木さんが登壇するイベントがあると聞いて、(しかも東北の美味しいお酒とごはんもあると聞いて!)、ワクワクしながら足を運びました。

八木さんは今も、前に進むために懸命に働かれています。前に進むと言っても、ひとりで突っ走るのではなく、地元のおじいちゃんやおばあちゃんたちの手を取って、少しずつ少しずつ歩んでいる感じ。それをするために、見えないところで猛烈に事務仕事や様々な手続きをして布石を敷いておられると思います。数年ぶりにお会いして、たくさんお話しをしたら、八木さんが元気なことに安心し、そして私もまたパワーをいただきました。同時に、八木さんのお話しに出るのは、ニュースで見聞きするのとは違う今の女川の本当の姿。女川駅が再生し、立派な駅舎と温泉施設、海まで続く新しい商店街ができました。電車の運行も再開し、多くの人が足を運ぶようになりました。毎日のようにイベントが開かれ、観光客でにぎわいます。しかし、地元の人たちの心には、喜びと同時に、戸惑いもあるようです。めまぐるしく変わる街の変化についていくのは大変なことなのだと思います。

そんな女川の「今」を、現地で間近に見ながら、支援活動をしている若者がいます。ハビタットのキャンパスチャプター東北大学As Oneの代表を務め、その後、インターンとしてゆめハウスで働いている高田俊智さん。高田さんが、女川で過ごし、八木さんと働く中で感じている今の思いをおしえてくれたので、少し紹介しますね。

「八木さんと色々と関わってきて、学んだり、感じたことはたくさんありますが、一番良かったと感じているのは、『自分を叱ってくれる存在がいる』ことです。今までの大学生活で、肉親以外でそういう人はいなかったし、ましてや東北支援やそういう分野で意見をぶつけたり、しっかり甘いところ等を追及してくれる人がいなかったので、そこが最も良かったなと思うところです。」「女川に限らず、多くの被災した自治体に外部からたくさんの人や団体が入ってきていて、そこと元々いらっしゃった地域住民の方々とがうまくいってるところとそうでないところがあります。ただ両方とも、それぞれの『復興』を目指して活動していく上で大事なのは『だれもおいてけぼりにしない』ことだと思います」

災害後の支援においても、貧困解消を目指す国際的な活動においても、誰かのために何かするときには共通して大事なこと。それは、寄り添うこと、そして、誰も置き去りにしないこと。ハビタットで働く中で、それができているか、常に自分に問いかけています。八木さんや高田さんは、女川でそれを大切にし、実践しているのですね。高田さんのように、支援のバトンをつないでいる若者がいることは、ハビタットにとって大きな支えです高田さんは、女川での出会いがきっかけで、この夏はアメリカでの研修ツアーに参加したとのこと。

ハビタットの活動をする中で生まれた想いは、こうして、人から人へつながれていくのだな、と私たちを支えてくださるすべての方への感謝を新たにしました。

2016年8月2日火曜日

東北スタッフ便り(その34): 仮設住宅のお別れ会~支えあった5年~

未曾有の被害をもたらした東日本大震災が発生してから今年の3月で5年が経過しました。ハビタットも震災直後より緊急支援を開始。宮城県と岩手県に拠点を構え、約4年にわたり住民に寄り添い、一人でも多くの方が安心して暮らせる住まいを取り戻せるよう支援にあたってきました。

変わり行く現地のニーズに対応しながら支援を展開する中で取り組んだ一つが、今日、ここでお伝えする仮設住宅における支援。長期に及ぶ可能性のある仮設住宅での生活が少しでも健全なものになるよう、そして、住まいが明日への希望が見出せる場所となるよう、仮設住宅で物置をはじめ、ベランダやひさし、踏み台など、居住空間を改善するための物づくりをボランティアと共に行いました。

そして、仮設住宅での物づくり支援を開始した当初に出会ったのが、岩手県大船渡市三陸町越喜来に位置する杉下応急仮設住宅です。その仮設住宅も5年の歳月を経て大きく移り変わろうとしています。それに伴い、2016年7月24日、杉下仮設住宅のお別れ会が開催されることになりました。当時現地に駐在していたハビタット・スタッフ(小松さん)をはじめ、大変ありがたいことに、ハビタットもお別れ会にお招きいただきました。お別れ会に参加した小松さんがお寄せくださった寄稿を通じて、当日の様子をお伝えします。
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岩手県大船渡市三陸町越喜来の杉下応急仮設住宅で、仮設住宅のお別れ会が、2016724日に開かれました。杉下仮設住宅は、大船渡市にあった37の仮設住宅の一つで、2011年6月に開設、当初は84世帯が入居しました。

この日は、杉下仮設の自治会の主催するお別れ会で、かつての住民の方、現在の住民の方が一堂に集い、約5年にわたる仮設住宅にお別れをしました。会場は、被災し再建された三陸町公民館です。

はじめにこの大震災で亡くなった方に黙祷を捧げました。

続いて自治会長の鈴木さんが、「今日は、杉下仮設住宅へのお別れの会で、仮設住民へのお別れ会ではありません。1,000年に一度の大災害を共に乗り越えてきた杉下仮設住民の繋がりはこれからもずっと続きます。84世帯いた住民も、10世帯くらいが残りますが、その方たちも行先の目途がついてきました。そこで仮設住宅への感謝、支援をして下さった方への感謝をし、住民が一緒の時を過ごそうとここに集まりました。」と挨拶されました。

参加者は90名を越えました。山海の珍味のご馳走は、被災後再建された越喜来の嘉宝荘の料理です。会は午前11時からですが、ビールや酒が早くも振る舞われ、仮設住民が次々に思い出を語りました。「仮設住宅でお互いに声をかけあって、支え合ってきた。」「今は仮設を離れたが、皆で一つになっていた仮設の暮らしが懐かしい。本当にありがとう」と当時の思い出と感謝の言葉が続きました。そして「にいやのおっかあ」(当地ではみな屋号で人を呼びます)の歌が飛び出すなど、大いにもりあがりました。ハビタットで住宅支援した佐藤さんにもマイクが回りましたが、おしょっす(恥ずかしがり屋のこと)、の佐藤さんは、ひたすら逃げ回っておりました。

仮設住宅の支援員さん達が、何日もかけて準備した思い出の写真が、舞台上の大スクリーンに、次々と映し出され、盆踊りやカラオケ大会の動画も披露されました。地元の新聞、東海新報や、岩手日報、岩手めんこいテレビ、NHK釜石なども取材に来ていて、司会者の無茶ブリで、記者全員逆にコメントを求められ、それに会場から質問が飛び交うと言った塩梅でした。

宴会中も、「私はハビタットに住宅修繕の支援をしてもらいました。本当にありがとう。でもあなた私の顔を覚えている?」と何人もの方がわざわざ私のところに来て声をかけてくださいました。


宴もたけなわとなり、今日声をかけてもらった支援団体も順に挨拶しました。ハビタットにも順番が来て、声掛けしてもらった感謝、杉下仮設の初期の受け入れがその後のハビタットの活動の支えになった感謝、今は熊本支援で今日は1名のみしか来れないお詫びをお伝えしました。

やがて全員で一つの輪になって、桜音頭を踊り、お開きとなりました。「今のはリハーサル、これが本番」と、何度も踊りました。(桜音頭は、大船渡では結婚式などのお開きに踊る習わしです。)




注:大船渡市に37団地1801世帯あった仮設住宅は、平成30年度までに3団地464戸を残し、いったん解体集約されます。杉下仮設は、当面残る3つの仮設住宅団地の一つです。