2015年1月27日火曜日

【国内ボランティア体験談】たくさんの出会いに感謝!(第一弾)

関西学院大学上ヶ原ハビタットの皆さんが、大船渡に訪れた際の感想を送ってくれました。第一弾は、野呂さん、木下さん、そして東矢さんの声を紹介します
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野呂瀬智之さん

僕は大船渡に訪れるのは2回目でした。前回訪れたのは2013年8月で、その時は津波の被害にあった地域や仮設住宅を回らせていただき、津波の恐ろしさと被害の甚大さを感じるのみで派遣は終了しました。 しかし、今回の派遣では復興に向かい様々な試みをしている人々と出会い、大船渡の復興への活力を多く感じることができました。

セルフビルド住宅が完成し、楽しそうに引越しの準備をするホームオーナーさん。潮目をどこまでも進化させる和一良さん。コミュニティの中で長期的な支援を続けるカリタスジャパンの皆様。復興屋台村で下世話なネタで一緒に盛り上がった市役所の人。大船渡でおおふなとんに続くゆるキャラサンマクロースのプロデュースに携わる若手宣教師。仮設商店街を盛り上げようと努力する地域の人々。様々なNPOを取り仕切るゲストハウスのおじさん。

このように様々な人々と今回の派遣で出会いましたが、みんなに共通しているのは自分の住む地域を愛しているということです。確かに、震災から三年半経っていても仮設住宅に住んでいる方々もたくさんいて正直、復興にはまだまだ時間がかかるなと思いました。しかし、様々な人が復興に向かって努力している姿を目にして、これからの大船渡の将来を見つめていきたいと個人的に思いました。僕は関西に住んでいて、大船渡まで行くのに相当な時間がかかります。それでも、今回の派遣で出会った人々が今後どのように大船渡を変えていくのかをこの目で確かめたいと強く思いました。また、行かせてもらいます。その時はよろしくお願いします!

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木下真さん

今回の派遣は、本当にたくさんの人たちと関わることができた活動でした。カリタスジャパンや地元の人々とのバレーボール、セルフビルドなど、大船渡を訪れるのは2度目でしたが、以前よりも更に地元の人々と交流できて本当によかったです。また前回私が携わらせて頂いたツリーハウスも、完成した姿を見ることができ、自分たちの活動の結果が形となっていることが嬉しかったです。そして何より今回も一番印象的なのは、地元の人々の温かさです。私は震災復興支援の活動に携わる度に思うのですが、自分たちが何かを与える以上に、地域の方に多くのものをいつも頂いているのではないでしょうか。それほどに大船渡の人々は温かく、優しい方がたくさんいます。私が震災復興支援を抜きにしても大船渡を何度も訪れたいと思う理由もここにあります。訪れる度に、たくさんの出会いがあり、そして元気をもらえる。本当に素晴らしい場所です。

実際の所、復興にはまだまだ課題が多く、今後も多くの支援が必要なのだと強く感じましたが 、復興へと向かおうとする地域の方々の強いエネルギーも同時に感じました。私はこれからも自分自身にできることを全力で行いたいと思います。そしてまた必ず大船渡を訪れますので、これからもよろしくお願いします!そして今回の活動に関わって頂いた全ての方に、ありがとうございました!

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東矢えれな

東北を観光地に。今回は、そんな思いで臨んだ東北派遣だった。思い返せば今年の2月、ようやく重い腰を上げ、初めて東北の地へと向かった。同行したメンバーが語る、3年前との変化というのを感じることができなかった反面、これからでも私にできることを探した。語り部さんが自身の体験を語ってくれた時、彼女が最後に私たちに訴えたのは、「ここはもう被災地ではない。東北に友達と遊びに来て、たくさんの人とまた訪れて」ということだった。私は今回の派遣を通して、松島の絶景や塩釜での新鮮な海の幸、そして地元に誇りを持つ温かく気さくな現地の人々など、東北のいい所をたくさん見つけることができた。実際、今の東北の現状において私たち学生ができることは少ない。そんな状況において、現地の人々が前回も今回も言っていたのは、東北に人を流して欲しいということ。惨状を忘れることなく、同時に東北ならではの魅力、本来の魅力、新たに生まれた魅力を多くの人に知ってもらえるよう活動していきたいと強く思った。

2015年1月15日木曜日

命と向き合った10年間

こんにちは。ハビタット・ジャパンでユースプログラムを担当している田中です。

皆さんは年末年始、どのように過ごしましたか?今日は私のまわりで起きた年末の出来事をひとつ紹介させてください。

私はホームレス生活をしている方々の生活支援を学生時代から個人的に行っています。東京都の郊外に実家があるのですが、実家周辺は都心とは違い、支援団体による炊き出しなどがほとんどありません。ある人との出会いから、近隣の生きる事も大変な人々の存在に気づいた事が、私が野宿生活者への支援活動を始めたきっかけでした。

活動を始めるにあたって、野宿をしている人はどんな人なのかを知ろうと、近所の河川敷のブルーシートで出来たテントを、大学の友達と訪問したことがハセさん(仮名)との出会いでした。ハセさんはとても知的な人で、とくに政治に関心があり、会うたびに、今の日本はこうなるべきだと意見を語ってくれました。ラジオでニュースを聞く事や本を読むことが大好きで、いつも読み終わった本を差し入れに行っていました。時には食べ物よりも本を優先するような人でした。

人を傷つける事にとても敏感な人で、10年間の付き合いの中で、ハセさんと話していて一度も嫌な思いをしたことはありません。

10年間、本当にいろいろな出来事がありました。命と向き合った10年間でした。

一度だけハセさんから電話がかかってきた事がありました。台風で川が氾濫し、すべてを流されてしまったので助けてほしいという電話でした。

生活保護を申請したらどうかと何度も提案しましたが、アパートには住みたいけれど、施設に入るのも嫌だし、役所との関係や、家族に連絡が行ってしまうことも嫌だからと、断り続けていました。

今考えると、あの時にもう少し強く説得していればと後悔しています。

多い時は毎週通ってイロイロ教えてもらっていましたが、私が結婚して横浜に暮らすようになってから訪問するのが月一回になり、そして隔月になり、少しずつ行ける頻度が減ってしまいました。

そして、201412月、年末の挨拶をしに、2ヶ月ぶりくらいに河川敷に訪れると、ハセさんは亡くなっていました。いつもいる場所で工事が行われていた為、屋根のない場所に移動していたテントから、ハセさんの裸足の足だけが出ていていました。後から警察の方に、死後1ヶ月以上経っていたと教えてもらいました。衰弱死の可能性が高いようです。

最後にハセさんに会ったとき、私は妻とまだ1歳になったばかりの娘を連れて行きました。遠慮しているようで私の娘を撫でたり、抱っこしたりはしませんでしたが、少し離れたところから優しくあやしてくれました。
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今年に入って、政府は生活保護のうち家賃に充てられる「住宅扶助」について来年度から引き下げ、2017年度には今年度と比べ約190億円減額すると発表しました。また、東北被災地においては、現在も避難生活中の方が24万人もいます。

今月の17日に震災から20年を迎える阪神淡路大震災の被災者の方々も、未だ多く人が災害復興住宅に暮らし、住まいを失った事で人との繋がりも失ってしまった1人暮らしの入居者が、誰にもみとられずに亡くなった「独居死」が、昨年2014年の1年間で40人だったことが先日報道されました。

衣食住という言葉がありますが、住まいの問題、そして住まいの重要性はもっともっと日本社会の中で認知されていく必要があると思います。ハセさんにしても、きちんとした住まいがあれば年末の総選挙にも行きたかっただろうし、もしかしたら仕事の面接にも行ったかもしれない。少なくとも、真冬の寒空の下で、裸足で亡くなる事はなかったと思います。住まいは、食べ物や衣類と一緒で誰もが最低限のものは保障されるべきものだと私は思っています。

そしてもう少し視野を広げてみると、世界には16億人の貧しい住環境に暮らす人々がいて、そのうち約半数は私達が暮らすアジアの人々だと言われています。ここで言う貧しい住環境というのは、私達が想像するよりずっと貧しく、ひどいものです。きちんとした住まいは天候や自然災害、感染症、犯罪、害虫などから人を守り、休息、安心、安全、そして人との繋がりを与えてくれます。

新年を迎え、今年も、世界で一人でも多くの人が暖かな家で年末を迎えられると良いなと思います。是非みなさんと一緒に、住まいとコミュニティの大切さを社会に訴えかけていきたいと思いますので、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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